長野県伊那市 高橋学園
天使幼稚園創立者 高橋三津平 著

幼児の本能


   「子供は五才までに、その生涯に学ぶべき事を学び終る」 フレーベル

一、総 論

 幼児の育成は丁度人間が幸福の天地へ達しようとする時、用意をし、万事を忘れる事のないようにするようなものである。そして、出発に際してはその途中に出会う色々な事に対する支度を初めから確実にせねば安心して行けますまい。子供が世に生まれた事程、両親は勿論、一家をあげての喜ばしい事であり、また嬉しいのであります。それについて、深く思わされるのは、初児などは可愛いあまり最高の玩具視するむきも少くないように見受けられます。盲目的とまで行かなくても、大切な教養の点を軽くするかたむきがあるように見られます。私は子供さん方をお持ちの御両親方は申すに及ばずこれからという方にも殊に幼児期にある者に対する教養的育成に今少し、種々注意の態度を願う為にペンを執るのであります。

私はかねて教会学校を二、三十年間させて頂いた事があります。それより四十年を経た今日、省みて幼児期育成の如何に大切かを甚しく痛感するのであります。当時五六十名の生徒を毎日曜日に教えたのですが、その生徒は種々で、幼児から高校生までありましたが幼児期の者が大分多かったのです。三、四、五才、この頃は保育園がありません故、多分に小学校への足掛りのきみもいささかないでもありませんでしたが、実に子供は熱心で極寒、大雪の中、炎熱の中も、病気の子供は親に背負われても登校し、親御さんも非常に犠牲を払われました。私はいつも「白金も黄金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」の古歌を思い、親御さん達は己の生命よりも大切な子供さんを預けて下さるのであるから、こちらでも生命を打ち込んで期待に添いたいと念願した訳でありました。

これらの事によって得た貴い物は種々ありますが、今日、成人となった生徒の当時を省みて幼児期の取り扱いが如何に大切かをしみじみ思われます。天使幼稚園を創設するに際して何か書けとの言葉もあり、一、二の点を述べる事になりました。幼稚園創始者で名高いかのフレーベルの言われる所に依れば、人間は五才までにして一生涯の一切は決定するものであるとのことであるが、人の一生涯の基礎が定まるのであるからだと思われるのであります。親は本能的に我が子は可愛い為教養を欠き、また軽くしやすいのですが、幼児期の三、四、五才は小学校に進む前時期で最も大切な時期であります。人間は何人も皆平等で天性至高なる性能を与えられ、持ち備えられて生まれきたった者であります。これが取り扱いにより右にも左にもなるものとも言えましょう。幼児の持って生まれてきた本能は多種ありましょうが、大分して二種に分類し、前者を好奇本能、後者を恐怖本能といたします。

各論の一 好奇本能

好奇本能とは知識欲の本能で諸物を獲得して知能を増進せんとする初めのものでありましょう。
この本能は極めて能動的、急進的で実に早く、最初はお乳を求めて泣くことによって聴覚が発達し、次に嗅覚などと覚度を増して行く。この好奇本能則ち知識欲本能は、後に述べる恐怖本能に反して至極能動的、急進的で進歩の度が早い、例えば、這う、立つ、歩む。それ故、望む物も時期に応じて違ってくる。とにかく好奇、珍しい物へと向かう。環境の違いで幼児に多少の格差はあるが、一ヵ年とはありますまい。初めは摑み、それを自分の口に運ぶ。何でも捕える。これは幼児期初め頃で良し悪しの分別なく、知恵を修獲せんとする時代で幼児自身には本能的が主で自覚は乏しい。しかし、四才頃から身体全部の諸感覚が急に発達を早めますので、とくと注意を促したい。例えば家の食卓の場合、来客などで大人が珍しい物を見る時など、勿論その物にもよりますが、幼児は何かと走り廻って繁雑を極めるので、幼児を他所へ抱きなどして別離させて、泣いてもかまわずその興味を転じてしまうが大いに考うべきである。

よく考えみれば、幼児の知覚を中断し、そらしては何も視覚は進まない、成長を止めてしまいます。この時代は実に大切である故に、親の方でもよく考慮し、幼児に適当と思い、将来、見学させておいた方が有益となるだろうと観察したら大きに犠牲を払っても幼児に快く説明もし、種々心行くまで尽くして上げるようにしたいものです。好奇本能への成長にも多く役立つのでありましょう。その扱いは、例えば食するもので言うならば辛子のようなものを少し口に触れさせればこれは辛い、子供の未だ食する物ではない事を感覚することでありましょう。幼児が四、五才ともなれば一人で行動をいたします。静かによく何かして遊んでいるから幸いと思い、仕事を終えて行って見ると非常に大切な物をめちゃめちゃに壊して平然としている時があるものです。この場合、父親にしても母親にしても、極めて大切なのは、普通怒りが先立ち、打ったりして幼児を泣かせ、強い事をする人がありますがこの時位幼児教育の大切な時はありません。もし親が怒りを発して事をなせばその怒りは、まず幼児の白紙のような心へ怒りの種子蒔きをすると同じであります。幼児はただ泣いているでしょうが、これはやがて反抗となって実ってきます。これらの場合、親は己が怒りを抑えるに甚だ難くば、しばらく静かに時を置き、心が静まり平常になってから幼児を教えるなり、その物の家宝であるとか高価であるとかその理由を懇々と教えるようにする事によって幼児も悪かった恐かったと思い、本当の教育ができます。が、特に願わしい事は、よく突然の出来事の為もありましょうが、特に口汚く馬鹿小僧とかお前のような者は偉い人にはなれぬとか、心と反対な台詞を並べるが、これは大いに謹んでほしい。子供はこの頃は外部に反抗はないが心に植付けます。ついでに述べるが何心なく家族が幼児の欠点や悪口を他の客であれば余計に言う。また道路などで連れだった久し振りの同級生に出会い頭に我が子をほめるように悪口を話し合うのをよく見かけるが慎まれたい。子供は聞かぬようでこれを聞き、優越感も受けるがまた時として非常に劣等感を深く感じる事もある。幼児期の子の前では家族、親子、兄弟も勿論、特に願わしきは夫婦喧嘩、口汚い言い方をせぬ事、もし言い合わねばならぬ事があれば幼児を除くか、自分達が見聞きされぬ所を選ぶ位の注意は肝要でありましょう。

これより五才前後には幼児自身の体力が益々増してきて本能の働きも満潮期に達してきましょうから、自分の欲する望みを達しようと始めは親なり、近い者に求めるが、これを果たせぬ時は、手段を選ばず達するまで泣きやまぬとか、あたをするとかしてねばる。または物を投げるとかして言う事を聞き入れない。遂に親の方が負けて与えてやる。買いたがる物、食べる物、見る物、皆然りですが、ここに大切な事は幼児の心に何事でも強硬にやれば万事皆ならぬ事は何もないというような心を造っては大変です。後に述べますが恐怖本能とのバランスが不均衡になるからであります。まず小学校へ入学しても、或は非常にショックを受けます。その現れとしては一定の時間静かにして居られず、気分がいらいらし、やかましくなり、時には頭痛さえしてくる。それは幼児期を我儘放題、自分勝手に育てられた結果と言えましょう。その時間は何にも頭に這入りません事が多いようです。幼児期に本人の気まま言うなりで何の考慮をも払わず育てられた子供に特に多い傾向です。此の好奇本能教養の宜しき、言わば無茶なる叱り方を考え、静かに物の恐ろしい事あぶない事などねんごろに教えて、幼児はいやになる程くどくたずねるが、気長にくわしく説いて行く時、本当に好奇本能が成長して物をたしかめる知能が発達し、好奇本能に導かれて、さてこの所は如何にするか成功を遂げるかを確認し、ただの感情でなく良知を生み出す事になり、時には大いなる危険さへ免れるに至ります。此の好奇本能も恐怖本能と同じく四、五才頃は特に大切ですが、もしバランスを損って進めば大変で、例えば大道路へ一人無断で出て行く、水などで溺死したり、山岳登山者が遭難の際、軽装素備だったなど、なお跡を絶たずといいます。交通事故、特に酔っ払い運転など一切悪いと頭では感ずるが止められぬ事などは、その源が幼児時代の育成になしとは言えぬと思われます。

各論の二 恐怖本能

恐怖本能、これは先ず自己保存の本能で、第一に己を守り、持って生まれてきた天性を傷つけず、又これを偉大ならしむる働き、言わば何時も修得したる知恵も正当化して理解力を高める始めの役割に相当いたしましょう。「恐畏は哲学を産む」と西洋に諺されて居るように己を守る為、例をあげれば高い所に昇る時とか又深さの見えぬ水の中を越そうとする時、身体全体が一種の憶病的にふるえて暫躊躇する。そして工夫し努力して確実な点を見出す。その如何、軽視のよきに依って成功し、これの軽薄な時は失敗する。高い所なら落ち、水中なら溺死する。そこで善良なる発育は自然的に、先天的に各人間に備えられたる此の本能則ち恐怖本能が前述しました好奇本能とは反対であり、恐怖本能は受動的で引き止めて正確化の働きが極めて強い。特に現れとしましては恐れこわがる恐怖心であります。此の過失の始めは多種多様でありましょうが教養次第で実証されて行きましょう。然し過失が多ければ先の好奇本能と同じく危険は恐るべきものと言えましょう。恐怖症とかノイローゼとか強病とかが幼児に基因すると思う事は知能力が定着する事です。
然しその宜しきを得れば老年になっても知能は益々大勢に行くものであります。

恐怖本能の極く始りは幼児が喜んで入っていたお風呂を、次に急に泣いたりして嫌がるのには湯加減が悪いか、とにかく不自然があったに相違ない。最初の肌着には木綿物を用いるが、もしも毛織物ならば膚に合わないから泣いたりする。この頃から恐怖本能は現れ始める。三、四才頃恐い物知らずと言う時があるが好奇本能に引かれて何でも進んでよく落ちたり、ころんだりして手足を傷つける時代は親の方が注意せねばなりますまい。この頃から五才末位が心掛けを充分したい時にさしかかります。人生の一番大切な時期と言えましょう。幼児は何物でも手当たり次第と言うように片端から捕まえては、時には大切に見て遊んでいるが、終には高価廉価はまだ知らぬから目茶苦茶にしてしまう。投げたり、大切な本でも破ったりする時期がある。これは幼児が本能的に何物でもその物の真価、則ち如何なるものかを見きわめようとする為に知欲の本能の働きであって大切なものでありますから、何でもかでも取りあげたりはせぬ事です。
まだ物の価格を知る年代でもないから、この頃起り易い例で非常に大切な事は幼児が大人にとっては非常に貴重な品を壊した時、これを見付けた者が大概は怒り、大声で幼児を叱るが常のようだが、この所が重大で、幼児はまだ善悪は深くは知覚しないのに打たれたりして唖然としているが、母なれば、その母の突然でも怒りという物が幼児の心に投げこまれる。叱り乍ら説法をして聞かせても、幼児にはそれより先に怒り憎しみと言うものが入っているから何らの教訓にもならず、かえってこれは後に反抗期となって親を苦しめる元となりましょう。それ故に必ず自己、親の方に怒気が起き、かっとなったら暫く心を静め、先ず自分が平静を取り戻してから幼児に教えるようにするのが大切でありましょう。

元より恐怖本能は好奇本能に導かれ、智育徳育など正確に身に修めようとする働きで、良き物を先に見出しこれに進んで突進しようとする時危険か否かを先ず確認する正視(正しく見ること)が頭で一寸考えただけでなく見極めるまでとくと行動で確かめるように教え、かつ導く時、両本能のバランスは成育される。恐いあぶないと思っただけの直感覚では効力がない。例えば高い柿の木へ登り次の枝へ足をかける時、此の枝は自分を支え得るか否かを確かめる意識を持てばよし、また支え得そうにないと覚度すれば他の方法へと知識は進むが、もし柿の実にのみ気を転じて枝が支え得ぬ時は折れて落ち大傷をしたり、手足を折る事位は易い事だが、是等の類は恐怖本能の育成の未熟と言えましょう。最も大切な事は、恐怖本能の育成には幼児期中に親は勿論、家族誰でも、これは悪い事ですから止めなさいと、欲しがっても絶対に与えませんと一旦言い切ったら、是を断行して決して幼児に負けて許可してはなりません。何でも通らぬ事は我にはないと言うような育て方は恐怖本能を弱体化します。深い関心を以て子供に言い状を通してはよくない物は何事でも幼児に必ず目に付かぬ所に置き、始めから心掛けて見られぬよう聞かれぬように一切を先に慎むべきが肝要であります。よく親は子供で何もまだ分別はないからと言って上の兄や姉を訳もたださず叱り、又従わせるが、心すべきは、たとえ三、四、五才でも悪い事は悪い事と徹底的に良し悪しを付け通していかねばなりますまい。よし時間がかかろうとも、また犠牲を多く払っても大事な事です。この恐怖本能の成長宜しきに依って幼児に自ら持って生まれた天性的な優れた、言わば美点のようなものを見出だすものであります。音楽などを始め感度が強いとか、手工が人より進んでよく出来るとか、人間の世に生まれきたった天才のような物の芽生へを見るものであります。前にも述べましたように片端から物を取り上げず少しは悪いと思っても幼児の思うままにしてやる事の中に偉才術技を摑み引き出して天才を発見するのです。元より生まれた子供は皆何かの天才児だと私は思って居ります。蛇足的になりますが、此の思想が世界になかったらエヂソンやヘレン・ケラーは世に出なかったかも知れませんでしょう。

恐怖本能の発達を弱める事で、もう一つ書きたい事は、父親には威厳を持たせ、幼児には好きなパパだが気兼ねで恐れも少しはあるというようにしなければいけません。その例ですが父親が子供を甘やかし、母親の口やかましい家の子供に恐怖が欠けがちで、両親はあっても女の子が多数でその中の男の子一人などの子によく見られる。片親教育の子や両親のない子供の将来に社会が難色を見せるのも源をたずぬれば幼児教育らにありはせぬかと悲しみます。両親は常々両本能のバランスの均衡にとくと留意され、両親の言い付けが守れなかったり、命令に反抗したりすれば是は恐怖本能の弱体の始めですから、此の芽生を直す為には相当に懲らしめ、痛い目に合わせても正当化します。幼児期中には、それが青年期まで覚えいる位のものでも恨みとなって残るものではありません。言うまでもなく勿論此の時も怒りの心や憎悪心があっては絶対になりません。全き愛の心を以ってせねばなりません。果樹に例えれば実を結ばぬ枝をせんていして結ぶ枝を盛ならしめるようなものでありましょう。思い当る一例を挙げますと、大木となるべき松、杉なども苗木の頃、言わば四、五年頃、境界線かなにかで植え替えのならぬ物が新芽を何か不幸にして取られますと枝が代りに延びて行きますが、是は二、三十年の後、他と同じ大木になりますが、やはりその木は以前枝が変った処はゆがみ、コブとなって木の一生涯残り、変りません。
これらの事により人間の一生が五才にして定まるというフレーベルの金言を思いだします。

結 論

幼児期三年間は早いようでもあり、長いようでもありますが、毎日、常々、毎時が大切でありますから大変な事とも言えましょう。然し一番可愛い時期でもあります。私はこの位の年代が十年間位(あってはならぬが)願わくは欲しいなと思った事もありました。幼児を育てる事位楽しい事はありますまい。ひたすら願わしい事は好奇及び恐怖両本能のバランスを精々片方にそらせぬよう常時心掛けて欲しいものです。何れでも失敗して片寄らせ、手の届かぬ所までやっては、結果は止めどもなく不幸に落ち入り、死にさえ至る事は少くないのです。人間は各自天才使命を与えられ、天下に必然性を権利とされて生まれ来たった者ですからその天性至高なものを横にそらさずに育てて行けば、生涯幸福な天地に住むべきは当然でありましょう。私が教育者当時よりその児童等が成人の今日までの、右に述べた理論が只机の上の学説でない事を証明したい為に、当節と三十余年後の今日の生徒の状態を一部書き挙げてみることにする。高校、高商、高農、高女等、一位にて入学した者六名、その中には小学校一年より師範卒業まで主席で通した者、東大在学中に高文をパスした者、海軍兵学校で次席(主席は宮様だったので事実上は主席)大阪歯科医大で特待生、博士三名、是等に準ずる者は数えるに限りない位です。特に感ずる事は、是等生徒が普通の家庭での子供であって由緒名門などの出の者でなく、又極く小範囲一村落余位の者であることに喚起を得たいものであります。